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賀毛の里の娘
これは、今からおよそ1500年前のこと。日本がまだ一面の野と森におおわれ、私たちの祖先が各地で自然とともに、素朴な生活を送っていた時代のお話です。
 このころ日本は、天皇を中心とする大和朝廷の支配のもと、ようやくひとつの国としての歩みを始めたばかりでした。
 それぞれの地方では、人々は集落をつくり、米づくりを中心とする社会生活を営んでいました。なかでも、播磨国賀毛(今の加西市)は、豊かな野と森、そして水と光にあふれた美しい里でした。
 この物語の主人公である根日女(ねひめ)は、この土地の豪族、許麻(こま)の娘でした。許麻は大和朝廷から国造に任ぜられて賀毛の里一帯を治めていました。輝くように美しく、しかも心やさしい根日女は、賀毛の里のだれからも慕われていました。そのうえ根日女は不思議で神秘的な能力を備えていました。根日女は天候を占って、作物を豊かに実らせ、天災から里人を救う霊の力をもっていたのです。
 大自然に宿る神々と交流し賀毛の里に平安と豊かな実りをもたらすこと・・・それは、だれもが替わることのない役割でした。
 根日女は賀毛の里にとってなくてはならない娘・・・どこまでもこの土地で生きていく運命にある娘でした。


運命の出会い
 ある年の秋のこと・・・。根日女はいつもの年と同じように収穫を迎えた賀毛の里に今年も豊作を祈って、神様にお祈りをしていました。そこに、他の豪族からの密偵が捕らえられたことを、根日女は父から聞かされました。捕らえられたのは二人の青年でした。二人は美嚢の志染の里で火焚きをしていて、決して密偵ではないことを訴えました。それを聞いた根日女は、二人の話に偽りがないことを悟り、父・許麻に密偵としての処刑を中止するよう促しました。なるほど良く見れば、二人とも普通の者にはない、気品があることを感じた許麻はしばらくのあいだ、様子を見ることを決めました。
 これが、根日女と青年二人の運命の出会いでした。


流転の皇子
 それから二人の若者は許麻の館で働きながら暮らすことになりました。最初は黙り込んで、どこか思い悩んだ感じの二人でしたが、賀毛の里での暮らしにも慣れ、のびのびとして表情にも明るさが感じられるようになりました。二人は根日女の大きな大きな愛を感じていました。見ず知らずの自分たちのために、毎日親しく、さも親友のように話しかけ、思いやろうとする気持ちを・・・。根日女も同じでした。二人の若者から感じられる高貴な雰囲気と賀毛の里になじもうとする二人の気持ち。
 三人にとって春のような日々が始まりました。若者たちは賀毛の里でさまざまなことを学んでゆきました。豊かな土地と資源に恵まれた賀毛の里では、新しい生産の手段が次々と生まれていきました。
 人をいつくしみ学びそして助けあって生きる賀毛の里の生活は、若者たちを大きく豊かな人間へと育んでゆきました。
 この幸せな日々がいつまでも続きますように・・・そう願わずにはいられない根日女でした。
 ちょうどそのころ、二人の若者は思い悩んでいました。若者たちは美嚢の志染の里の出身であると根日女をはじめ賀毛の里の人々に言っていましたが、本当は大和の出身でした。平和で幸せいっぱいの賀毛の里での生活をこのまま続けるか故郷に帰るべきか・・・。
 それからほどない、ある夜・・・大和に帰ることを決心した二人は、賀毛の里をあとにしようとひっそりと逃げ出すように去って行こうとしました。ところがその行動を許麻に見破られました。何か深い理由があるのであろうと、問いただしたところ・・・二人の若者は驚くべき事実を語り始めたのです。
 二人は、何と大和朝廷の帝の血に連なるご兄弟でした。二人は履中天皇の子である市辺押磐皇子の子で兄は意奚(オケ)皇子、弟は袁奚(ヲケ)皇子と言いました。
 当時、大和朝廷では皇位継承をめぐって肉親同士の殺し合いが続いていました。安康天皇の皇位を継ぐとされ、人望も高かった市辺押磐皇子は、従兄弟の大泊瀬幼武天皇にだまし討ちにあって殺されてしまいました。そして、大泊瀬幼武天皇が即位して雄略天皇になったのです。意奚、袁奚の兄弟は雄略天皇の追っ手から逃れ、志染の里で火焚きや従僕として身分を隠していたのでした。
 身分を隠し賀毛の里にたどり着いた二人は、やっと幸せな居場所をみつけることができました。しかし、いずれ自分たちの身分が大和に知れたら、賀毛の里の人々に災いが及ぶ・・・そう思うようになった二人は、賀毛の里を出ていくことを決心したのでした。
 このことを聞いた許麻と根日女をはじめ里の者たちは、さすがに驚きを隠せませんでした。
 根日女が心から慕った若者たちは、身分違いの高貴な皇子でした。これからどうなるのか・・・それを思うとつ泣きくずれてしまう根日女でした。


わかれの時
 秋・・・、これからの身のふり方の決心がつかないまま二人の皇子は、賀毛の里にとどまっていました。今まで二人のことを思うあまり、ついつい泣いてしまう根日女は決心しました。二人の皇子に公の場で身分を名乗るよう促しました。志染屯倉首の家で新築の祝いの宴があり、そこに都から遣わされた国司もやってくるというのです。願ってもない機会と思った二人は、今こそ世のため民のために立ち上がるのが本当の勇気であると考えました。
 志染屯倉首の宴の日・・・都から遣わされた国司の前で、自分たちの身分を明かす唄を披露したのでした。
 行方不明になっていた二人の皇子が見つかったことで、国司は驚きと喜びを隠せませんでした。
 志染の里には、さっそく高野の宮が造られ、二人の皇子はここに迎えられました。しかもなんということでしょう。二人の皇子の父を無惨にも殺した雄略天皇はすでに亡くなり、その子、清寧天皇も世継ぎをもたないまま、世を去ったばかり・・・大和朝廷では、皇位を継ぐべき二人の皇子の行方を懸命に探している真っ直中にあったのです。まさに皇子たちは大和に帰る時がやってきたのです。
 二人の皇子は根日女を大和に連れて行こうと必死でした。しかし、根日女は首を縦には振りませんでした。賀毛の里の人々にはなくてはならない存在・・・それが根日女でした。自分の運命はあくまでも賀毛の里にあると判断した根日女の考えは変わることはありませんでした。二人の皇子は、そんな根日女の思いを大切にするべく、今の混とんとした大和を自分たちの力で安定させ、誰もが住みやすい国になったときには、根日女を迎えにくることを約束して、大和へ帰っていったのでした。


永遠の愛・永遠の根日女
 二人の皇子が帰っていった都は、混乱が渦巻いていました。豪族の台頭で、大和朝廷の存在すら危ぶまれる状態でした。皇子たちはためらうことなく、民衆とともに立ち上がりました。
 豪族たちとの苦しい戦いのあいだ皇子たちの心を支えていたのは、国中を賀毛の里のように、平和で豊かなところに造りあげようとする、皇子たちの信念と愛する根日女の存在でした。
 そして・・・賀毛の里をはじめとする播磨の国からは、皇子たちに対する援助として、進んだ技術で造られた刀剣や豊かな物資が送られていました。こうして皇子たちは戦いつづけ、少しずつ国を平定してゆきました。
 都では弟・袁奚皇子が帝に即位しました。賀毛の里の人々は喜びに溢れたのは言うまでもありません。しかし、そのころから根日女の体調に変化が現れていました。疲れと、皇子たちの安否を気づかう心労から、根日女は重い病にかかってしまったのです。もちろん帝と意奚皇子はそのことを知る由もありません。
 安定した朝廷を取り戻した、二人は今こそ根日女を大和に迎えようと準備をすすめていました。そして大和からのお迎えが今にも賀毛の里に辿り着こうかというとき・・・根日女は二人との多くの幸せな思い出を胸に息を引き取りました。ついに根日女は二人の愛する人と再会することなく、この世を去ったのです。この報せに大和の二人は言葉を失いました。平和になった大和を根日女に見せてやれなかったことを誰よりも悔やんだ二人は、根日女を皇后として葬ることにしました。墓の場所は許麻の館の近くで、朝日をうけ夕日をうけるところ・・・今の加西市玉丘町に大きな大きな前方後円墳が造られたのです。
 この後、根日女のあとを追うように帝(袁奚皇子・顕宗天皇)は世を去りました。次に兄の意奚皇子が即位して仁賢天皇となり兄弟はそろって帝となりました。この二人の力で、大和朝廷は安定した力をつけました。いわば、日本のあけぼのを準備した兄弟だったのです。
 播磨国風土記に記されている玉丘古墳・・・もちろんそこには、根日女と永遠の愛を誓いあった意奚と袁奚の二人の皇子の心もいっしょに眠っているにちがいありません。